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弥六の蘊蓄 【浴衣の基本は藍+白で...】

平安時代の昔、貴族が蒸し風呂に入るとき、やけどをしないように羽織った「湯帷子(ゆかたびら)」が浴衣の起源だそう。
歌舞伎役者がファッションリーダーとして、もて囃された江戸時代になり、役者の楽屋着や、贔屓筋への進物として流行り始めました。町人は競って贔屓の役者と同じ柄の浴衣を纏い、颯爽と街を歩くのが「粋」とされたそうです。
"浴衣"と聞いただけで、誰でも「夏」をイメージします。ひと風呂浴びてサッパリしたところで、浴衣でも引っ掛けて出かけようか...なんてコレまた風雅というもの。
あんまりゴテゴテとした柄や色使いはイケません。浴衣と言えば藍+白、直球勝負で決まりという算段です。
「藍」の防虫・防臭効果や皮膚アレルギーの抑制効果、保温・放熱両方に優れた機能も、特筆すべき先達の知恵と発見だったんですネ。

  商品のご案内

価 格/9,450円より(一反あたり)
サイズ/長さ:約12m 巾:約38cm(一反あたり)
素 材/綿100%
オーダー/12反より承ります
納 期/約1か月
版 代/別途31,500円より(一色)
仕立代/浴 衣 9,450円より・長甚平 8,925円より
日が経つに連れ、柔らかさとと風合いを増すジャパンブルー。昔ながらの「注染」という技法を用いて、丁寧に染め上げます。 指定ロゴやマーク、大紋などをアレンジして貴方だけの"オンリーワン"を制作致します。
残り生地で長甚平や絽掛巾着を仕立てたり.....なんてのも、大人の遊びですね。

10人で揃い浴衣を作る場合の例/
(9,450円×12(反)+31,500円(版代))÷10=14,490円・・・一反あたりの単価
これに仕立て代9,450円をプラスすると23,940円(一着あたりの単価)となります。


【浴衣着こなしのツボ】

浴衣は一般的な長着と違い、着丈はくるぶしの上あたり、裄は手首のグリグリより少し手前で決めます。洋服感覚に慣れていると、やや短く感じますが、これが「粋」というもの。
着丈・裄丈の長過ぎる浴衣ほど格好の悪いモノはありません。
襟元は詰めすぎず、開けすぎず、帯は若干前下がりに。ま、この辺はお好みですかね。
夏の普段着として浴衣を着る時は、あまり糊を強くしないで着て下さい。洗うごとに木綿の風合いが増し、柔らかく肌に馴染んで来ますと、最高に着心地よいものになります。

|||古伊万里を愉しむ

1590年に天下統一を果たした豊臣秀吉は、朝鮮を経由して明に侵入すべく、文禄元年(1592年)、自ら唐津の近くの名護屋に陣をとり、字書多秀家を総帥に、加藤清正、小西行長を先鋒に朝鮮に出兵しました。(文禄の役)。翌年、停戦協定を結んだのですが、慶長二年(1597年)再び兵を派遣しました(慶長の役)。しかし、圧倒的な戦況不利で、翌1598年、秀吉の死を迎えるにあたり全軍撤兵したのです。この二度にわたる役で出兵した各藩は、半島から引き揚げる際に、多くの陶工たちを連れ帰り、やきものを焼かせました。このことが、日本における磁器焼成の創始のきっかけになったとされています。
戦略的には失敗の汚名を残した文禄・慶長ですが、文化史的角度から評価すれば、この遠征は、日本の窯業にはかり知れない恩恵をもたらし、後世開花する江戸文化にも大きな影響を与える重大な契機であったということになるのです。
普段使いの器に古伊万里が注目されるようになってかなりの時が経ちます。女性に人気の蛸唐草や花唐草、蕎麦猪口でも江戸時代後期あたりの"ウブ"な品物ですと、手に入れるのにそれなりの覚悟がいります。
最盛期の献上鍋島のような完成され、張りつめた姿ではなく、染付の伊万里には朴訥な空気が流れています。庶民に浸透した文化・文政年間から幕末、そして来たるべき維新へとつながる気配を感じることが出来るのです。
上下左右、天と地、陰と陽、シンメトリックが全てを支配していた時分と比べ、描き込みと白地の比が七対三、右に山あれば左に川、きっちりとした対称が保たれていないのも、これはこれでバランス。
眺めて良し、使って尚良しの古伊万里の器−浴衣の藍に通ずる呉須の青。和装とともに愉しみたいですね。

<染付 蕎麦猪口> 楚々としてけれん味のない藤は源平藤橘のひとつであり、家紋に用いられた例も多く、古来より高貴な花とされてきました。備前磁器では初期の伊万里から、藤をモチーフにした紋様が多く見られます。
藤は5〜6月頃にうすい紫色の花を付けます。お囃子の音とともに今が見頃と咲き誇るその姿は浅草三社祭のシンボルでもあります。
こんな猪口を片手に、蕎麦を手繰ってみたいものです。  

データ>>
図柄/下がり藤に丸紋
年代/江戸時代後期 嘉永安政年間(1850年代)頃
高台/蛇の目 サイズ/W8.1cm×T6.3cm

<染付 五寸なます皿> 力強く三方に描かれた亀甲の間を埋めるのは、たわわに実を付けた蔓草のようです。
見込みの草花紋には唐草が垣間見えます。
飛鳥、白鳳の時代に伝えられ、僧侶や武士の生活を綾なした唐草文は、およそ千年の時を経て江戸に花開き、庶民のものとなります。蛸唐草はその仕舞いの姿です。
ぽってりとした気取りのない釉薬の中に、人々の生活が見え隠れしています。

データ>>
図柄/亀甲紋に蛸唐草
年代/江戸時代後期 嘉永安政年間(1850年代)頃
高台/蛇の目 渦福銘 サイズ/W14.7cm×T3.8cm

<染付 蓋付茶碗> ふくよかな身に、やや深目に収まる蓋、四方欅がその周りを美しく演出しています。ひたすら作陶に励む、名も無き陶工たちの姿が目に浮かぶようです。
雪そして雲、大した作図道具も無い時代に、こんなチャーミングな意匠を誰が考え出したのか....
この頃から庶民の文化が花開き、江戸庶民の美意識は最高潮に達して行くのであります。

データ>>
図柄/雪輪紋(左)・雲繋ぎ紋(右)
年代/江戸時代後期 嘉永安政年間(1850年代)頃
サイズ/W11.2cm×T7.4cm

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