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弥六の蘊蓄 【南蛮渡来の喫煙文化...】

コロンブスの新大陸発見(1492年)から全世界に広がったタバコは、約100年後、戦国末期の日本に上陸した途端に、華麗な文化へと発展していきました。
タバコ(喫煙)は日本人にとって単なる嗜好ではなく、お客さんがあれば、お茶より先に「たばこ盆」を供するという日本独自の「嗜みの文化」として開花していったのです。
喫煙の習慣は、南蛮趣味の流行のなかでさらに人々を魅了し、やがて独自の喫煙具文化を形成していくのであります。煙草と来れば「煙管」となるわけですが、現代では煙管で煙草を吸う方は希有ですよね。
ご参考までに煙管の吸い方なんぞを・・・

1. 刻みタバコをひと摘み丸める。
2. 雁首の火皿に詰める。
3. 煙草盆の炭火に雁首を近づけて火を点ける。
4. ゆっくり喫う。
5. タバコが燃え尽きたら、煙草盆の灰吹きのふちを軽く叩いて灰を落とす。
6. 火皿に残った灰をフッと空吹きをして飛ばす。

燃え尽きる前の火のついた灰の塊を掌に載せ、それが消える前に新しいタバコを火皿に詰め、掌の燃えさしで着火するなんて、せっかちな江戸っ子ならではの技もあったそうな。
資料画像 左より銀石州形朱羅宇煙管・銀手鋼形羅宇煙管・更紗腰差し煙草入・菖蒲革腰差し煙草入

※燕市産業史料館HPより

   商品のご案内

価 格/6,300円より
サイズ/用途に応じ各種
素 材/強撚紙 その他
オーダー/1個より可
納 期/2〜3週間前後(※お問い合せ下さい)
職人の手により、ひと目ずつ編み上げられ、型に合わせてその姿を幾たびか整えられた後、複数の塗装工程を経て、汚れや湿気に強い「籠」となります。
籠目の色は生成や赤の単色から、編み込み特有の市松模様まで、お好みに合わせて指定できます。詳しい色柄見本は店頭のサンプルをご参照下さい。

煙草入(6,300円〜)−ロングサイズ、ショートホープサイズ、その他全てのサイズに対応可。
携帯電話入(6,300円〜)−Docomo、au、SoftBank各社全機種対応可、現物にてサイズをご指示下さい。
篠笛入・能管入(8,400円〜)−アクリル製中筒が笛を保護します。笛のサイズに合わせて制作致します。
扇子入−平扇子、高座扇ともにお扇子のサイズに合わせて制作致します。

|||歌舞伎を観に行こう

1603年に北野天満宮興行を行い、京都で評判となった出雲阿国(いずものおくに)が歌舞伎の発祥とされています。
「傾く(カブく)」が語源とされ、異様な振る舞いや装いをカブキといい、それをする人物をカブキ者と言いました。江戸時代には歌舞伎狂言の公演は幕府の公許制度の下にあり、厳しい規則の下で公演されたのです。

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さて、時代物・世話物どちらで? ここは敢えて肩が凝らずに観られる世話物に演目を絞ります。江戸時代の町人社会・世相風俗を扱ったもの、町のどこにでもいる大工や魚屋、侠客や遊女、長屋の若衆など様々な人たちが登場する芝居は、現代に通じる生活の匂いが漂っています。
下手黒御簾から流れる長唄や囃子は役者の演技の「間」を大らかに繋ぎ、その息遣いまでも伝ってくる。河竹黙阿弥や鶴屋南北を通して、大江戸八百八町の森羅万象に想いを馳せます。
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そして、歌舞伎のもうひとつの愉しみ、それは美味しいものを食べながら見られることです。劇場というと飲食物持ち込み禁止が当たり前ですが、歌舞伎座や新橋演舞場は席で食べたり飲んだりすることが出来ます。
歌舞伎座でのお勧めは、一階ロビー売店で売っている”もみ出し茶”(容器にお湯を入れ、底をモミモミするとお茶が出る仕組み)、それに二階売店で"抹茶きんつば"を買えば観劇準備完了。東西の桟敷席なら、お茶は備え付け、自席にてお弁当の注文が出来ます。堀炬燵式になっているので、楽な姿勢で観られます。
幕間(まくあい)には、これまた美味しい食事。そして芝居がハネて外に出ますと、辺りはすっかり夕暮れ時。帰りは木挽町の裏路地で軽く一杯やりたい気分・・・
さてと、お洒落をして出掛けましょうか、もちろん着物でね。

<通し狂言 白浪五人男> 河竹黙阿弥作 文久2年(1862年)初演。「浜松屋」の場、武家の息女と供侍(ともざむらい)になりすました弁天小僧と南郷力丸が金をだまし取ろうと浜松屋で大芝居を打つが、弁天が男とばれて開き直る。女が、男に「がらり」と変わる面白さ。
いよっ、待ってましたぁ!
「もう化けちゃいられねぇ」と片肌ぬげば桜の彫り物、くずれた島田に赤い長襦袢のままであぐらを組む、その姿は、まさに歌舞伎の華。
そして、「知らざぁ言って聞かせやしょう」の名台詞。こればっかりは、何回見てもゾクゾクします。
「稲瀬川勢揃い」の場も、五人男のツラネという様式の美。これはひたすら華やかで美しい。大詰めでは、「がんどう返し」という大仕掛けに目を見張ることうけあいです。  

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勘九郎の弁天小僧菊之助(右)と
八十助(現三津五郎)の南郷力丸
平成7年・歌舞伎座


<通し狂言 桜姫東文章> 四世鶴屋南北作 文化十四年(1817年)初演。長谷寺の所化・清玄と相承院の美しい稚児・白菊丸は道ならぬ恋におちた末、あの世でそい遂げようと駆け落ちして、稚児ヶ淵へとやってくる。
ふたりは仲を誓う証として香箱を身に着けていて、白菊丸は「清玄」と名を書いた蓋を、清玄は「白菊丸」と書いた身のほうを所持していた。やがて白菊丸は香箱の蓋を左手ににぎりしめ、海中へと身を投げる。
だが清玄は波の勢いに怖気づいて飛び込めない。すると海中から心火がもえあがり、白鷺が飛び立っていく。
第三幕・三囲の場〜第五幕・山の宿と続き大詰めは三社祭で賑わう浅草雷門の場。

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市川段治郎演ずる清玄


<与話情浮名横櫛> 三世瀬川如皐作 嘉永六年(1853年)初演。日本橋の大問屋和泉屋の大番頭多左衛門の妾宅前。 番頭の籐八が雨宿りをしているところに、湯屋帰りのお富。雨の止むまでと籐八を家へ入れる。が、その籐八、実はお富に気があって何かと言い寄るが、お富はうんざり。
そこへやってきたのがタカリの常習犯でごろつきの蝙蝠安。体中に刀キズのある若い男(実は与三郎)を連れてきて、治療代をゆすろうとする。ゆすられる覚えはないと言い切るお富を見て、驚いたのは与三郎。「おぬしゃぁ俺を見忘れたか...」と、ここで与三郎の名セリフ...今度はお富がビックリ。
与三郎は死んだと聞かされて身投げしたのを、多左衛門に救われて今ここに、と訴えるが、与三郎は聞く耳をもたない。
そこに多左衛門が現れて、お富との仲は潔白と言い聞かせ、二十両という金も与える。
のちに、お富は多左衛門が幼い頃に別れた実の兄だったと知ることになる・・・

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11代目 市川團十郎演ずる源氏店の与三郎

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